ソウムメイト2017”啐啄同時”

2006/03/22 [Wed]

桜の頃

 暑さ寒さも彼岸まで、と申しますが日によって気温の差が大きい今日この頃です。
 そろそろお花見の季節ですね。教室の庭にも桜の木があります。虫がついたりして手入れが大変だなどと実家の者が忠告してくれたのですが、どうしても桜の木が植えたくて、ソメイヨシノと枝垂桜を一本ずつ庭師さんにお願いしてから今年で二回目の春を向えました。昨年は開花の時季に雨や風の日が続いて、見頃がわずか二、三日ぐらいで散り始めてしまいましたが今年はどうでしょうか。一日でも長く私たちを楽しませてくれることを今から願っています。
 教室の近辺の桜の名所と言うと根岸森林公園ですね。あれだけ桜の木が密集して森のようになっているのは他にないのではないでしょうか。敷地も広大ですし起伏があるので、他の名所よりも人ごみが気にならずカメラの撮影ポイントも多いと思います。
 さて、お茶道具にも桜にちなんだものがたくさんあります。雲錦(うんきん)というのは桜と紅葉を散りばめた、四季を通じて使える意匠ですが、陶器の絵付けに限らず様々な工芸にも用いられています。桜の花と紅葉が同時にあるのは現実的に考えておかしいのですが、古くから描かれ今でも人気があります。
 漆塗りの意匠で夜桜棗(よざくらなつめ)と呼ばれるものもあります。一見、真塗無地(しんぬりむじ=一般的な黒い漆塗りで蒔絵などの装飾が一切ないもの)のように見えるのですが、近づいて光に照らしたりすると、真っ暗な世界の中にかすかに桜の花がいくつも浮かんで見えるのです。技法的なことは全く分からないのですが(ご存知の方は是非ご一報下さい)、立体的な彫りか何かが施されているように思われます。この時季デパートのお茶道具売り場でも置いてある所がありますので、時間があれば探してみるのも、一風代わった楽しい花見になるかもしれません。
 陶芸以外の工芸の技法や意匠には、陶芸に応用できる可能性がたくさん隠れているような気がします。
2006/03/18 [Sat]

三月は…

 三月は春の訪れを感じる時季であるとともに、卒業や引越しなど別れの季節でもあります。教室の生徒さんの中にも新社会人になられる方、社会人から新たな世界に挑戦される方、お引越しされる方、様々な事情で教室を一旦お休みされる方々がいらっしゃいます。その都度、言葉にはできない淋しさと、新しい生活を応援する気持ちと、これまでの感謝の気持ちでいっぱいになります。
 また会える日を楽しみにしながら、私たちは相変わらずここにいます。ふと思い出したらいつでも気軽に遊びに来てください。私たちはずっとここで待っています。
2006/03/05 [Sun]

ゆがみの美意識

 前回は茶碗の重さについて私なりの考えを述べてみましたが、今回は茶碗の形状、特に「ゆがみ」について考えてみたいと思います。陶芸の初めのうちは作品を均一に作ろうとしてもなかなか思うようにいかず、ついつい形がゆがんだりしますが、ここでいう「ゆがみ」は、例えば国宝の抹茶碗の卯花墻のように、意図されて「ゆがみ」を加えられたもののことです。志野焼の抹茶碗もそうですが、織部焼や瀬戸黒などもゆがんだ形状が特徴のひとつです。これらは皆その発祥が桃山時代であるとされていますが、ではいつ、どのようにしてこの「ゆがみ」をもつ茶碗が登場したのでしょうか。
 桃山時代初期まで、茶の湯では主に中国の天目茶碗が使われていて、国産の抹茶碗(国焼)は瀬戸で中国製の代用品として作られた天目茶碗以外ほとんどありませんでした。天目茶碗はロクロで作られた端正で精密な形で、この頃は茶碗の形に「ゆがみ」を加えるという意識は、作った側には勿論使う側にもみじんもなかったと考えられます。
 茶の湯で千利休が登場すると、それまで主流だった天目茶碗に代わって朝鮮の井戸茶碗などが用いられるようになります。利休はそれまでの茶の湯の先人たちが残していった侘び・寂びといった感覚や価値観をきわめ、さらに道具や茶室などに新たな発想を加えました。井戸茶碗の素朴で飾らない趣の中に利休は侘び・寂びを見い出したのです。井戸茶碗も天目茶碗同様ロクロで作られたものですが、井戸茶碗はもともと民衆の雑器だったもので、大量生産するために成形も乱暴なほど手早く、また窯の中ではいくつも重ねて焼かれたりしたため、若干の「ゆがみ」があります。「ゆがみ」というほどのものではなく、あるいは「揺らぎ」とでもいいましょうか。この場合、意図されたものというよりも、雑器としての質の低さからくるものなのですが、いずれにしても完成度の高かった天目茶碗は使われなくなり、井戸茶碗が茶の湯に使われる最も格の高い茶碗として評価されるようになったことは、その後の茶碗の形に大きな影響を与えることとなりました。
 利休は井戸茶碗からさらに発展を試みました。長次郎に指示して作らせた樂茶碗がそれで、手捏ね(てづくね=手びねりの一種)という方法でできるだけ端正な形に作らせました。それまで茶の湯で使われてきた茶碗は全てロクロ成形によるものだったといっても過言ではありませんから、このことからも利休の斬新さ・大胆さがうかがえるわけですが、それについては本題からそれてしまうのでここでは触れません。さて樂茶碗はロクロ成形ではないためごく自然にわずかな「揺らぎ」が生じます。井戸茶碗のそれとは本質が違うのですが、利休は井戸茶碗のもつ「揺らぎ」を別の切り口で継承してみせたのです。
 茶の湯の世界をリードし続けていた千利休が天正十九年(1591)自刃、代わりに時代の寵児となったのが千利休の高弟・古田織部です。ここで一気に「揺らぎ」から「ゆがみ」へと茶碗の形は大胆に変貌します。織部焼にもその名が残っているように、古田織部が意匠を考え、出身地である美濃で作らせたという茶碗はまさに「ゆがみ」そのものです。織部がどのようにして「揺らぎ」から「ゆがみ」という美意識を発見し、それを表現し、かつそれを伝播することができたのかは推測の域を脱しないのですが、おそらく織部ただ一人だけが「揺らぎ」の中にある「ゆがみ」に魅せられたのではなく、利休亡き後の当時の茶の湯のリーダーたちが同時期に、そして徐々に目覚め、変革したのではないでしょうか。実は長次郎の作った樂茶碗の中にも、明らかに「ゆがみ」を表現している茶碗があるのですが、利休が最後まで手元において愛用したのが「禿=かむろ」という名の、「揺らぎ」の表現にとどまっている茶碗であったことから、千利休といえども茶碗に「ゆがみ」という概念=美意識を見い出すまでには至っていなかったと考えられます。おそらく先の「ゆがみ」のある樂茶碗は利休以外の、或いは古田織部の発注によるものだったのかもしれません。
 さらに「ゆがみ」は茶碗だけにとどまらず水指などにも広がり、美濃から各窯業地へと波及しました。水指では信楽・伊賀・備前などの名品が、今も「ゆがみ」の美意識を讃えています。
 古田織部もまた慶長十五年(1615)に自刃するという、皮肉にも師と同じ運命を辿ってしまうわけですが、「ゆがみ」もまた、織部の後を継承した小堀遠州によって「きれい寂び」という新たな美意識に淘汰されていきました。しかし約四半世紀に渡って茶の湯のトップに君臨していた間に、古田織部は抹茶碗だけにとどまらず茶道具全般の美意識に大きな変革をもたらした点で、日本の美術史上最も重要な人物の一人といえるでしょう。

「ゆがみ」は日本人が世界に誇れる美意識といってもよいのではないでしょうか。

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