現代茶人の好み
一樂、二萩、三唐津(いちらく、にはぎ、さんからつ)
 昔から茶人の間で重んじられる抹茶碗の三傑です。樂とは初代長次郎を祖とし、今も京都に十五代続く樂焼のこと。萩は山口県萩市を中心に窯元が点在する萩焼。唐津は九州佐賀県の唐津焼です。
 しかし桃山時代以前、侘び茶が隆盛するまでは唐物(中国)の天目茶碗が茶の湯の世界で唯一無二のものでした。その後高麗(朝鮮)茶碗の井戸や呉器がそれに取って代り、そして千利休の登場により茶の湯の世界で樂茶碗が不動の地位を築きました。その後古田織部の「ゆがみ」を強調した美濃焼、小堀遠州の「きれい寂び」を表現した高取焼、野々村仁清の雅で色鮮やかな上絵を施した京焼など、時代とともに素晴らしい抹茶碗が世に誕生してきたにもかかわらず、相変わらずこの三傑を現代になっても呪文のように唱えています。でも本当に現代の茶人たちはこの三傑の抹茶碗を使っているのでしょうか。
 そこで過去三年間に開かれた大寄せの茶会(表千家不審菴席主の茶会)で実際に使われた茶碗を調べてみました。通常、茶会では主茶碗(おもぢゃわん=茶会で一番格の高い茶碗)と替茶碗(かえぢゃわん=主茶碗に準ずる茶碗)の二つが会記に記載されます。
 まず主茶碗として使用された茶碗の統計をとってみました。

主茶碗57個中、樂茶碗55(うち黒樂29、赤樂26)その他2

樂茶碗55個中、樂歴代作35、歴代宗匠手造18、その他2

樂歴代作35個中、十二代弘入(こうにゅう)作7、当代(十五代)吉左衛門作6

 以上の結果を見ると、やはり樂茶碗は現代でも茶の湯の茶碗の中で最も重んじられていることが分かります。意外だったのが黒樂と赤樂の割合で、ほぼ半分でした。これは統計を取った茶会が全て薄茶席だったからということも関係があると思います(懐石がある正式の茶事では濃茶に黒樂を使うことが多く、赤樂よりも黒樂を重んじる傾向があります。それは赤樂が制作過程において3、4個同時に焼成できるのに対し、黒樂は一つずつしか焼成できないという手間=価格差ということも関係しているようです。)。それから樂茶碗のほぼ三分の一が歴代宗匠(表千家流)の手造というのは利休時代にはなかったことで、表千家では六代目の覚々斎あたりから始まったことではないでしょうか。樂歴代で使用頻度が多いのが十二代弘入と当代吉左衛門で、当代は毎年千家の初釜のために制作したりするので理解できますが、十三代、十四代よりも十二代が多い理由は、価格的なことや作品の多さなども関係しているようです。ちなみに初代長次郎の茶碗の価格は億単位、三代目道入(通称ノンコウ)で数千万円ですが四代一入から十三代惺入まではあまり差がなく価格も二、三百万円で一ケタ下がります。しかし十四代覚入になるとまた値が上がりその倍以上、当代吉左衛門はさらに上がり七、八百万円です(但し、家元の箱書などによって値段が大きく上下します)。

 一方替茶碗は、

替茶碗40個中、永楽(えいらく)歴代造27、高麗7、萩焼6

永楽歴代造27個中、十六代即全(そくぜん)造11、当代(十七代)善五郎造8

 こちらの結果からは永楽歴代造の京焼茶碗が7割近くを占め、主茶碗では見られなかった高麗、萩が使われていることが分かります。永楽家は十七世紀初頭、十代了全(りょうぜん)、十一代保全(ほぜん)の頃に表千家、紀州徳川家、豪商三井家などと緊密な繋がりを持ち、その後の永楽家繁栄の礎を築きました。最近ではどこの茶道教室にも必ず一つや二つは京焼の抹茶碗があるのは、茶道会における永楽家の存在のたまものと言って差し支えないでしょう。ちなみに一般的な茶道教室では濃茶点前の稽古に黒樂(もちろん本物ではなく写物)、薄茶点前の稽古には京焼を使うことが多いようです。現代の茶道において京焼の茶碗は樂茶碗と同様に定番であり、その最高峰ともいえる永楽造の茶碗を茶会で使うことはごくあたりまえのことになっているわけです。また永楽歴代造の中で使用頻度が最も多いのが先代即全で、その理由についても樂茶碗の場合と同様、価格的なことが大きいようです。替茶碗に樂茶碗が一つもないのは、主茶碗も替茶碗も共に樂茶碗では変化に乏しく、印象としても重くなるからでしょう。このあたりの感覚は茶道に精通していくにしたがって自然と身についてくることだと思います。
 以上のことから現代の茶の湯では、

一楽、二永楽、三高麗

といって良いのではないでしょうか。高麗と萩焼とは1個差ですが萩焼もまたそのルーツが高麗なので乱暴ではありますがこの際一くくりにしました。萩はまだしも、唐津焼の茶碗にいたっては今回調べた茶会では全く使用されておらず、少なからず淋しさを覚えました。(水指の統計も取ったみたところ55個中朝鮮唐津が1個だけありました。ちなみに永楽歴代造が11、樂歴代作が6でした)。
 他の流派の茶会ではどのような傾向なのでしょう。気になるところです。

*補足*
樂歴代作。永楽歴代造。それぞれ抹茶碗を制作する両家ですが、樂の茶碗には「作」、永楽の茶碗には「造」という字を使い分けることが、茶道の流派によってはあるようです。
 樂家は利休時代から茶碗を制作する家として成り立ち、その制作工程においては成形から焼成までをほとんど一人で行います。一方、永楽家はもともと土風炉師(どぶろし=風炉は茶道で茶釜を据える際に使う火鉢のようなもの。土風炉は素焼きの素地に漆を何度も塗り重ねたもの。現代では5月初旬・立夏の頃から11月初旬・立冬の頃までの半年間使用し、11月から4月は風炉は使わず、炉=茶室の小さい囲炉裏を使います。風炉には唐銅、鉄、陶器製などがありますが永楽家の祖は利休時代から土風炉の制作が本業)でしたが、江戸時代後期、十代了全、十一代保全の頃から仁清風の色絵、交趾写し、祥瑞写し、古染付写し、金襴手など、幅広いやきものを制作するようになり現在に至っています。工房ではロクロ師、型物師、絵付師など制作を完全分業化している点で、樂家とは成り立ちも、作品造りも大きく異なります。
 千家では樂家を「茶碗師」、永楽家を「焼物師」と呼びます。「作」と「造」の使い分けは、両家の違いを歴然と表現しているのかもしれません。
*現在、東京日本橋の三井記念美術館で「京焼の名工、永楽保全・和全」の展覧会が開催されています(7月2日まで)。教室に図録もありますので是非ご覧下さい。*
【2006/04/28 16:24 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
茶の道はヘビー?
 先日、大寄せの茶会でお点前をさせて頂く機会に恵まれました。大寄せの茶会というのは大きな広間に三十人くらい入って、お菓子と薄茶を戴くというものです。当日はお点前だけでなく、半東(注1)や後見(注2)のお手伝いもさせて頂き、水屋仕事(注3)も間近で見ることができましたので、初めての私にはとても貴重な経験となりました。裏方の仕事は目配りや間合いをとるのが難しいのですが、逆にもてなされる客の方もなかなか大変なのです。
 三十人くらいの客の中で一番上座に座る客を正客(しょうきゃく)といい、正客は席中でもっとも敬われます。そして一番良いお茶碗でお茶を戴くことができます。正客はあらかじめ誰かに決まっているということはなく(たまに例外もあります(注4))、誰でも正客になる権利があります。大抵は席入りした時の場の流れで決まりますが、最近の茶会では男性客が圧倒的に少ないので男性が席に入るとほぼ間違いなく正客に祭り上げられます。そして男性が居ない場合は女性たちの壮絶な譲り合いが始まります。正客になれば最高のおもてなしが待っているのに、日本女性の奥ゆかしさゆえか「どうぞどうぞ」と皆が口を揃えて一番上座に近い人を正客の座へ追いやろうとします。
 実は正客には重要な役割があって茶会の間中,後見と会話をはずませるという任務が待ち受けているのです。話術、茶道具に関する知識、茶道の所作などが当然必要で、茶道に精通した人でも基本的に皆やりたがらない訳です。うっかり正客になった日には、席中の人々からその力量を値踏みされることになるからです。
 もちろん中には内心正客になりたい客もいて、かといって自分からすすんで正客にはならず、少なからず皆から薦められてという段取りを踏まえてから正客になるのが一般的のようです。しかし誰も正客になりたくないという思いの人ばかりだと、茶会が始まる前にひと騒動起こります。
 客は茶席に一箇所から順に入りますので、誰も上座に近寄らないとなると入口付近で渋滞が発生します。席中には事前にそれを想定して誘導係としての半東が居るのですが、半東が上座を勧めてもテコでも動かぬといった形相で、皆入口付近で踏んばり、おかまいなしに座り込み、そのため後ろの客が入れなくなります。既に座っている人を後ろから蹴り飛ばして席入りする人はいないので、後ろの人々は着物なのに横歩きを強いられたり、踏まないように大股に渡っていかなければなりません。
 最後の客が入口のわずかな隙間からやっと席入りしたと思ったら、正客の座しか残っておらず驚愕してしまうことも少なくありません。できればその場を飛び出したいのでしょうけれど、それはこれまでの茶の道を断念することに他ならず、茶席をぐるりと取り囲んでこちらを見据えている遠慮深い?人々にすがるように正客を譲ろうと(というより哀願)するのですが、当然皆遠慮(というかきっぱり拒否)しますし、話しかけても地蔵のように押し黙ったままの人も居ます。こういう場合、正客を引き受けてくれる神様のような人が現れることは万に一つもなく、その間半東はこの正客の座に最も近い気の毒な客に対して同情しつつも、いい加減観念しろ!と心でボヤキながら土下座を繰り返します。正客が決まらなければ全く何も始まらず、いつまで続くのかと内心暗澹たる気持ちになります。
 このようなひと悶着を経て、運の悪い?誰かが正客となって、ようやく一席が無事始まるのでした。

 いくぶん茶化した描写になってしまいましたが、茶目っ気とか茶番という言葉にも茶の文字が使われていることに、茶道となんらかの関わりがあると思えてならない今日この頃です。


(注1)半東=はんとう。お点前をする人を東(とう)と言い、東の後ろに座って、点てられたお茶碗を正客まで運んだり、東の助手をする人。一般に東よりも経験のある人が務める。
(注2)後見=こうけん。一般に席主(せきしゅ)が務める。席主とはその茶会を開いた人、或いはその茶会の責任者。半東の後方に控え正客のお訊ねに答える。茶会の茶道具は基本的に席主が用意し、正客との会話は主にその日の茶道具に終始する。
(注3)水屋仕事=みずやしごと。大寄せの茶会で東は通常、正客と次客(じきゃく=正客の隣の客)の二人分のみ茶を点て、あとの客には点て出しといって、水屋で点てられた茶碗が運ばれる。そのために裏方は水屋で茶碗を温めたり、茶を点てたり、戻った茶碗を洗ったり、それに付随する諸々の仕事をする。
(注4)例外=席主の茶道仲間や師匠、或いはそれ以上に重要な人物などに前もって正客を依頼している場合がある。
(注5)この話はノンフィクションです。が、他の流派においてはこの限りではありません。
【2006/04/15 18:47 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
BGM
 教室にはいつも音楽が流れています。陶芸をしていても耳障りにならないような、静かで居心地の良いボサノバなどが中心です。
 たまに生徒さんにご質問をいただくのですが、有線放送ではなくてCDをかけています。CDが100枚入るプレーヤーなので(ちょっとした自慢です。でもお値段は一般的なプレーヤーとほとんど変わりません)入れ替えなしでとても便利です。
 主なアーティストはアントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトといったボサノバの定番モノですが、少し前から気に入っているのがエブリシング・バット・ザ・ガール(以下EBTG)です。
 80年代のブリティッシュ・アーティストで、リアルタイムでご存知の方にはいまさらといった感じですが、学生の頃はこういうまったりとした雰囲気がよく分からなくて、むしろ敬遠していました(もっぱらロック系を聴いてましたので)。それがある日、テレビのBGMで彼らの「ローラーコースター」という曲が使われていて、初めて聴いてとても落ち着いた雰囲気が気に入って、教室のBGMにも最適だと思いつつ、あぁ、そういえばそんなアーティストがいたな、という若き日の記憶がよみがえり、また、スタイル・カウンシルのCDは教室に持っていってあったのに、曲によってはラップ調や少々騒々しい曲があったりでローテーション入りを果たせなかったことを思い出し、スタイル・カウンシルのカフェ・ブリュ(1stアルバム。厳密にはその前にミニアルバムを発表していたかも?)のなかでEBTGのトレーシーが歌っていたことなども思い出し、もう少し早く教室用にEBTGを思いついても良かったのに、などと学生時代の様々なマイ・フェイバリット・ソングとそれにまつわる個人的エピソードについてしばらく想いをはせたりしていたのでした。
 誰にでも大好きな曲や青春の記憶などを喚起させる曲があると思います。ただ教室ではなるべく有名な曲やヒット曲、それに日本のアーティストの曲など、どこかで耳にしたことのあるような曲はあまりかけないようにしています。それは知っている曲がかかるとつい意識がそちらに向いてしまうのではないかと思うからです。陶芸に集中していただくためというよりも、教室に来ていただいている時はなるべく日常から離れていただけたら良いな、と思うからです。教室に大きな時計がないのも同じ理由で、毎日の生活の中でつい時間に追われてしまうことがありますが、教室では時の経つのを忘れていただけたら、という思いで置いていません。
 そんな訳で陶芸とはあまり関係のないところにも、ひそかなこだわりを持っていたりするのでした。

【2006/04/05 18:13 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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