ソウムメイト2017”啐啄同時”

2006/10/28 [Sat]

続・志野焼について

 週初めは随分寒くなって、思わず冬物を取り出して着たものの、タンスの臭いが気になって、消臭スプレーを買いました。季節の変わり目ですので体調管理は要注意ですね。私は喉の痛みから風邪に発展する体質なので、いがらっぽい時は喉に直接スプレーするタイプの薬を使っています。以前はうがい薬を使っていましたが、強烈な味で味覚が麻痺し、直後に食事しても全然美味しくないのでやめました。以上、スプレー話を二つ。そういえば茶道教室で週一回必ず濃茶を頂くようになってから、風邪をひきにくくなりました。抹茶の殺菌効果が効いているのでしょう。

 さて9月に志野焼のご説明をしたあと、ついつい他の用件ばかり書いていて、延び延びになっていた志野焼の伝世品と近代~現代の著名作家についてご紹介します(箇条書きで失礼します)。

志野茶碗・卯花墻(うのはながき)・・・国宝(昭和34年指定)。日本で作られた数ある抹茶碗の中で、現在国宝に認定されているのは、本阿弥光悦作の「不二山」と、この「卯花墻」の二碗だけであることからも、志野焼はわが国を代表するやきものの一つといっても過言ではない。
 大萱(おおがや=岐阜県可児市)の牟田洞窯で焼かれたと考えられ、命銘は片桐石州(かたぎりせきしゅう:片桐石見守貞昌。慶長10年(1605)~延宝元年(1673)。摂津茨木城主・片桐且元の甥として生まれ、のちに大和小泉城主となる。徳川四代将軍家綱の茶道師範であり、茶道石州流の祖。町衆にはない大名の風格をそなえたわび茶で、千宗旦や小堀遠州らと交流。)と伝えられる。箱蓋裏の「やまさとの うのはながきの なかつみち ゆきふみわけし こゝちこそすれ」の和歌も石州の筆とされている。高さ9.6cm、口径11.7cm、高台径6.3cm。東京都中央区・三井記念美術館蔵。
http://www.mitsui-museum.jp

志野茶碗・広沢・・・重要文化財(以下重文と記す)。京都洛西嵯峨に近い広沢の池に映る月にちなんで命銘されたとされる。卯花墻同様、見込みに小さな目跡(めあと=茶碗の中に更に小さい作品を入れて焼成した痕跡)が残っている。二重高台は同時代の他の志野茶碗にもよく見られる作行。高さ8.6cm、口径12.5cm、高台径6.4cm。大阪市中央区・湯木美術館蔵。
http://www.yuki-museum.or.jp


鼠志野茶碗・峯紅葉(みねのもみじ)・・・重文。胴に亀甲の単独紋とつなぎ紋、矢来紋(檜垣紋)と草紋を、見込みに亀甲紋一つとばらばらになった矢来紋を掻き落している。鼠志野の完品は十碗ほどしか伝世していない。箱蓋の「峯紅葉」の銀粉字形(ぎんぷんじぎょう=箱の材質によって墨書できない場合に漆の蒔絵の技法で銘などを記したもの。金粉もあり。字形にすることによって中身の風格を誇示することにもなる)は小堀権十郎政尹(こぼりごんじゅうろうまさただ:遠州流を引継ぎ元禄7年(1694)没)の筆。高さ8.6cm、口径13.6cm、高台径6.1cm。五島美術館蔵。
http://www.gotoh-museum.or.jp

鼠志野茶碗・山の端(やまのは)・・・重文。峯紅葉と類似した造形で、あるいは同じ窯、同じ陶工の手によるものかと推察される。箱蓋裏に「五月雨ハ はれんとやする山端に かゝれる雲の うすくなりゆく」の歌銘がある。高さ8.2cm、口径13.3cm、高台径6.1cm。東京都港区・根津美術館蔵。
http://www.nezu-muse.or.jp

紅志野茶碗・梅ヶ香(うめがか)・・・松平不昧(まつだいらふまい:宝暦元年(1751)~文政元年(1818)。松江七代藩主で片桐石州の流れをくむ)伝来。高台付近を大きく三角形に土見せにする施釉の仕方は他の志野茶碗にも多く見られる。高さ13.4cm、口径13.2cm、高台径5.5cm。東京都世田谷区・五島美術館蔵。

練上げ志野茶碗・猛虎(もうこ)・・・練込まれた赤土があたかも虎の縞のように見えることから命銘された。黒漆の内箱蓋表の「志埜 猛虎」の金粉字形は、岡山池田藩家老で幕末の代表的な茶人でもあった伊木三猿斎(いぎさんえんさい:伊木忠澄。文政元年(1818)~明治19年(1886)。裏千家十一代玄々斎門下。岡山県邑久町の虫明焼は三猿斎の指導により始まるといわれる)の筆と伝えられる。高さ8.8cm、口径13.5cm、高台径6.7cm。京都市左京区・野村美術館蔵。
http://www.nomura-museum.or.jp

志野矢筈口水指・古岸(こがん)・・・重文。矢筈口とは矢の端の、弓の弦を受ける部分の矢筈に似ているところからの名称で、同時代の備前焼、信楽焼の水指にもよく見られる作行。胴の一方に三株の芦の絵を、裏には数本の茎を持つ一株の芦の絵が描かれ、平らな底にはくっきりと糸切の跡が残っている。高さ17.8cm、口径18.5cm、底径18.0cm。東京都港区・畠山記念館蔵。

<著名作家>

荒川豊蔵 明治27年(1894)~昭和60年(1985)
昭和5年、牟田洞窯(前述)で志野焼の陶片を発見。瀬戸で焼かれたと考えられていたそれまでの志野焼の定説を覆したばかりでなく、江戸時代以降全く途絶えていた志野焼の技術を、自らが発掘した陶辺だけを手がかりに再現。昭和30年、志野焼・瀬戸黒で第一回の重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)に認定され、昭和46年には伝統陶芸の分野で初の文化勲章を受賞。作風は奇をてらった作為がなく、温雅さに特徴がある。

加藤唐九郎 明治30年(1897)~昭和60年(1985)
大正7年(1918)頃から瀬戸系古窯の調査研究を始め、「黄瀬戸」、「陶器大辞典」、「茶道全集」などの出版編集に携わる。昭和27年(1952)に織部焼で第一回無形文化財に選定されるが、昭和36年の「永仁の壺事件」により全ての公職を辞してからは作陶に専念。特に志野の抹茶碗に優品が多く、桃山陶の再現のみに留まらず、独自の作風を確立。今もなお志野焼の陶芸家に多大な影響を及ぼしており、現代の志野焼の古典となりつつある。

鈴木蔵 昭和9年(1934)~
伝統的な陶芸の世界にガス窯をいち早く取り入れ、平成3年(1991)、多治見市無形文化財志野技術保持者に認定されたのち、平成6年(1994)、志野焼では荒川豊蔵に次いで二人目の人間国宝となる。

加藤孝造 昭和10年(1935)~
五代加藤幸兵衛(ラスター彩の再現に成功し、平成7年(1995)、三彩で人間国宝に認定された加藤卓男の実父)に師事。また荒川豊蔵の薫陶を受け、平成10年(1998)には岐阜県重要無形文化財保持者に認定される。
2006/10/20 [Fri]

永楽の古唐津

 今年はなんとなく秋が長く感じられませんか?陽が沈んだあとのしばらくの間、澄み切った肌寒い大気に包まれながら、西の空に残った暖色の階調と、影絵になった遠い山並や建造物の闇に追われるように、ラケットを担ぎ家路を急いでペダルを漕いでいた少年の頃を思い出す季節になりました。

 さて先日の東美アートフェアに面白い茶碗がありました。それは古唐津を繕ったもの(割れてしまったものを漆などで接着して直したもの)で、茶碗の見込み、口辺近くに「永楽」の陶印が押されたものでした。

 永楽家の茶碗については以前にも「現代茶人好み」で少し書きましたが、今一度ご説明しますと、永楽家は十七世紀初頭、十代了全(りょうぜん)、十一代保全(ほぜん)の頃に表千家、紀州徳川家、豪商三井家などと緊密な繋がりを持ち、その後の永楽家繁栄の礎を築きました。最近ではどこの茶道教室にも必ず一つや二つは京焼の抹茶碗があるのは、茶道界における永楽家の存在のたまものと言って差し支えないでしょう。ちなみに一般的な茶道教室では濃茶点前の稽古に黒樂(もちろん本物ではなく写物)、薄茶点前の稽古には京焼を使うことが多いようです。

 さて先般の茶碗ですが、おおよそ陶印というものは高台付近に押すものですし(樂茶碗における数印など例外はあります)、永楽の印がありながら上絵付けのない、まさに古唐津そのものの風合いで、陶印がなければ、古唐津によく見られる金繕い(きんつくろい=漆で接着したひび割れの上に蒔絵の技法で金を付着させること)か、或いは呼継ぎ(よびつぎ=欠けた部分が紛失、或いはその他の事情で使えない場合に、代わりの陶片をあてがうこと)をしたものかと見まごうほどの茶碗でした。

 茶道では割れたり欠けてしまった茶碗を漆などで接着して、時には金繕い等を施して使用することが間々あります。これは物を大切にするということとは少し違って、あえて割れた風情を楽しんだり、ひび割れの跡を景色として鑑賞するという、日本人独特の美的感覚に他なりません。元々は中国や朝鮮から輸入された貴重な陶磁器に欠損が生じた際、それを補修して使っていたことに端を発するのではないかと思われます。

 寛永の三筆の一人、本阿弥光悦はその独創的な茶碗作りで本業の刀研ぎよりも高名ですが、光悦の茶碗のほとんどは繕うことを前提に作られたといい、無傷の光悦(の茶碗)は無いといわれるほどです。
 また最近の技術革新によって、陶磁器の修復は繕った箇所が全く分からないほど精巧にできるようになったと、他の美術商の方から伺いました。以前はどんなに目を凝らしても分からないものも、ブラックライトを当てれば一目瞭然だったそうですが、現在では釉裏金彩(釉薬の内側に金彩を施したもの)のような特殊なものでも、そっくり同じに修復可能との事です。

 さて話を戻しまして、お店の方によると、その唐津茶碗は永楽即全(えいらくそくぜん=十六代)の手によるもので、確かに箱書には永楽の印と「即全補」の文字がありました。おそらく欠けた古唐津の修繕を依頼された即全が、同じ大きさの茶碗をロクロで作り、古唐津の欠けた部分に相当する箇所をその茶碗から用いて接着、修繕したのだということでした。接着された部分はロクロ目の大きさや位置まで細やかに再現してあり、永楽の陶印があることではじめてその茶碗が経てきた来歴について、様々な憶測や想像が茶会でのご馳走の一つになるであろうという、非常に興味深いお話でした。これから秋が深まる名残の時季にはちょうど良い茶碗でしょう。

 いずれにしましても箱書からは三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)やその他の流派の宗匠方との関係を裏付けるものが見当たらず、永楽家という、茶陶では一流の工房で直されているところから、よほどの豪商か数寄者が依頼したものだろうということを付け加えておきます。

 茶碗一つにしましても、長い歴史を経て伝世してきたものは様々ないわくがつきものです。自分が手にしている古い茶碗は、前の世代から受け継がれ、次の世代へと受け渡していくもので、たとえ自分の物となっても、それはこれまで何人何十人もの人が大切にしてきてくれたからこそであり、自分もまた次の持ち主のために大切にしなければいけないものなのでしょう。
2006/10/13 [Fri]

芸術の秋たけなわ

 横浜は秋晴れが続いて爽やかな毎日です。先日の三渓園の茶会の後、すぐ近くにあるお店で夕食を頂きました(着物は一度家に帰って着替えました)。そこは室町時代の古民家を移築したという、大変風情のある建物で、しかも開け放たれた庭を見ながら料理を戴けるという、なんとも贅沢な空間でした。ちょうど夕暮れ時で、ススキが風にそよぎ、酔芙蓉や彼岸花が咲いて武蔵野の風情を楽しみました。料理は和食で大変美味しく、この時季だけの蓮の実の入ったご飯などを頂きました。カップルにも是非オススメです。

 その前日、日本橋大丸で京都の塗師の川瀬表完先生の展示会にたまたま立ち寄りました。川瀬先生は私の母校の京都伝統工芸専門学校で漆工芸を教えておられ、私は直接ご指導頂く機会はありませんでしたが、売り場でお顔を拝見した時に記憶がよみがえり、あまりの偶然にただ驚くばかりでした。
 川瀬先生はとても気さくにお話しして下さり、現在漆の原料のほぼ99%を中国に依存していること、道具で用いる刷毛は海女さんの髪の毛が良いこと、筆は北前船に住み着いた鼠の脇毛が最良など、時にユーモアを交えて分かりやすくご説明下さいました。茶道具についても大変造詣が深く、大いに勉強させて頂き、有意義で楽しいひとときを過ごすことができました。
 
 8日の日曜日には東京美術倶楽部のアートフェアに行きました。JR浜松町駅か新橋駅から徒歩で10分程の場所で、今回は古美術や茶道具などが中心です。由緒のあるものを手にとって観ることができるので、年に4~5回ある企画には出来るだけ足を運んでいます。ちょうど陶磁器研究で高名な林屋晴三先生が会場にいらっしゃったので、お傍近くに寄って行って古美術商の方とのやりとりをしばらく拝聴させて頂きました。些細な会話の中に重要な学術的見解などが含まれていたりもしますので、影のようについて回ったため、少々怪しい人物に見えたかもしれません。
 初めの頃は随分敷居が高く感じられ緊張しましたが、この頃はようやく少しずつ勇気を振り絞って色んな古美術商の方にあれこれ質問できるようになりました。どこのブースでも丁寧に応待して下さいますし、本当に貴重なお話を伺うことも多々ありますので、私にとってかけがえのない時間となっています。

 季節の変わり目でお風邪をめしたり、体調を崩していらっしゃる方々の、一日も早いご快復をお祈りしています。
2006/10/06 [Fri]

お茶会後記

 教室の近くにキンモクセイの木があります。この時季お茶室の窓を開けて独服していると、ほのかに香ってきます。人間の五感の中で嗅覚がもっとも記憶や思い出を喚起させるのではないかと思うくらい、キンモクセイの香りは子供の頃や学生時代の記憶を私に呼び起こしてくれます。

 かねてより宣伝しておりました通り、先日三渓園でのお茶会でお点前とお運び(のちほどご説明します)をさせて頂きました。三十人くらい入れる広間でしたが、たまたま正客に座られた方が日頃お世話になっている男性だったせいもあり、あまり緊張することなくお点前することができました。私は茶道に関しては師匠に心酔しておりますので、日頃ご指導頂いている通りにすれば何も臆することはないと、開き直って立ち居振る舞いができました。

 さてお運びというのは、三十人分ものお茶をお点前が一人で点てるには時間的にも体力的にもムリがあるので、広間の裏側で人数分のお茶をあらかじめ点てて運んでくる人のことです。厳密に言うと、茶碗を前もって温める人、茶碗にお抹茶を入れる人、それに適量の湯を入れる人、それを茶筅でシャカシャカ攪拌する人、客が飲み終えた茶碗を洗う人など、広間の裏方は分業制になっている場合がほとんどです。

 これらの人々は客からは見えない隔離された薄暗い場所で、黙々と作業に追われるのが常ですが、こういう裏方のほうが実は茶道経験が豊富だったりします。私のような駆け出しにはとてもまかせられない任務ばかりなので、まぁ男の茶道人口が少ないからということで声を掛けて頂いた訳です。こう書くとなんだか肩身が狭いようですが、むしろ回りが女性ばかりですので優しくしてもらえたりします(茶道とあまり関係ない)。

 で、話を戻しますとお運びはその裏方によって点てられた茶碗を客一人一人に運びます。その前にお菓子も運ぶので、それはもうひっきりなしに広間と裏(水屋と言います)を出たり入ったり立ったり座ったりします。お運びが三十人居て、同時に茶碗を持ってくれば済むというものではなく、一般的には広間に3~4人のお運びが居るのが理想的で、5人以上居るとなんだかドタバタしてうるさくてやってられない感じがします。

 水屋に出入りする茶道口は襖一枚分ですので、出てくるお運びと入るお運びがぶつかりそうになるのはしょっちゅうです。かといって襖二枚分を開け放ってしまうと裏方が丸見えになり、戦場のような場面を客にお見せしてしまうのでそうもいかず、結局狭いところから働き蜂のように出たり入ったりして、せっせとお茶を運ぶのでした。

 これを丸一日続けると足がクタクタになり、翌日以降筋肉痛が出ます。

 一方、お点前は最初の数十秒こそ注目を浴びるので緊張しますが、あとは正客と席主(お点前側の責任者)が会話したり、お運びが右往左往しだして、すぐに誰も見向きもしなくなります。自分のお点前に人々の関心がなくなっていることが席の雰囲気で分かるので、なんとかもう一度注目してもらえる手立ては無いかなどと考えたりしていると、普段やらないようなことをしでかして、違う意味で注目されかねないので、誰も見ていなくてもお点前は気が抜けません。

 逆にお運びのほうに人々の興味や関心が移ります。客は自分の茶碗を運んできてくれたお運びに、つい軽い気持ちで茶碗は何焼きなのかとか、菓子器は誰の作だとかを聞いてきます。意地悪で聞いたわけではないのに、お運びが答えられず恥をかいたりします。陶芸や骨董などに興味がある人ならともかく、普通の人ならその日茶会に使う道具を覚えるだけで頭痛がしそうです。

 大寄せの茶会で使用される道具は会記(道具の一覧表のようなもの)に載るものだけでも15種類以上、その上、数茶碗だの銘々皿だのとなると、多少やきものを知っていてもこんがらがってしまいます。もし客に何か尋ねられたら、間違っていても堂々と答えたほうが良いのです。あとで客に問い詰められたりしませんし、誰にでも言い間違いはあるものですから。

 そんなわけで無事にお茶会は終了しました。これから秋が深まるにつれ各地で盛んにお茶会が開かれるので、今度は客ぶりを磨きたいと思っています。  

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Author:山手陶芸教室 ソウム課だより
『貴方の意志が本当に強い時、驚くべきほど多くのことを学ぶことが出来る。』
by チャック・ベリー先輩

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