Sentimental Journey Ⅱ~真田紐のこと~
 今週の水曜日(おととい)陶芸教室の忘年会がありました。12月は皆さん何かとお忙しいのではと考え、昨年と同様ひと月早い開催にしました。これまで飲み会などのイベントは全て教室の中で行ってきましたが、たまには場所を変えて気分転換も良いものかと思い、またあまりお酒を召し上がらない方のために、今回は食事も楽しんで頂けたらと、関内にある高田屋さんにお世話になりました。

 店内はおそば屋さんとは思えないような、モダンで落ち着いた内装で、料理も大変美味しくお腹一杯頂きました。普段は受講される曜日が違うため、なかなか交流がない生徒の皆さんも、和気あいあいと楽しい時間をお過し頂けたのではないでしょうか。

 また二次会のカラオケ大会も大いに盛り上がって、マイクを持つ皆さんのいつもとは違う別の一面を垣間見ることができて、あっという間に時間が過ぎていきました。私自身もスタッフや周りの方々の抑止力によって、暴走することなく適度なパフォーマンスができて、翌日も自己嫌悪に陥らずに済みました。


 さて先週の続きになりますが、京都での二日目、午前中に小一時間ほど時間があったので、以前から探していた真田紐(さなだひも)を買いに行きました。真田紐というのは、茶道具などを入れる箱に使われる紐で、絹、麻、木綿などを染めて筒状に織り、それを平らにしたものです。

 茶道の家元には、この紐の色や柄に「好み」というものがあって、表千家流なら黄色(他に萌黄)、裏千家流は紐の両端が萌黄で、中央が茶色の三列織りになっているものなどがあります。

 今回お邪魔させて頂いた業者さんでは、茶道の家元以外でも、例えば著名な陶芸家や千家十職といった諸工芸の方々にも「好み」の真田紐があるということを教えて頂きました。中には茶道の家元と全く同じ「好み」の柄もあり、おそらく何代も前からその家元との繋がりがあって、同じ柄になったと考えられるものや、下積み時代に修行して独立した時に、その師匠にあたる作家の「好み」の柄に、ひと筋別の色を入れて自分の「好み」にしたりすることもある、などといった貴重なお話を聞くことができました。

 昨今流行のお宝鑑定の際にも、この真田紐が鑑定の重要な要素の一つとなります。箱書き(茶道具の箱に制作者や家元が、道具の名称や銘、由緒などを書いたもの)がしっかりしていても、真田紐が約束事と異なる場合は、疑惑が起こるわけです。

 部屋の片隅に携帯ストラップなども置いてありましたのでお訊ねしたところ、家元の真田紐はそういうことには使わないそうです。格式と申しますか、毅然と守られている伝統のようなものを感じました。

 最終日は樂美術館で「光悦と樂道入~二つの樂茶碗 二人の交友」と題した秋季特別展を観てきました。本でいつも眺めている茶碗がたくさん展示してある中、道入作の黒樂茶碗「桔梗」もあり、解説に「器体は驚くほど薄く削りこまれ…」とあったのですが、実は以前に東京美術倶楽部百周年記念茶会で、実際に手に取って拝見させて頂いた茶碗でしたので、樂吉左衛門氏の解説と自分の感覚のすりあわせができたことが、何よりの収穫となりました。
 さらに大阪観光では、なんばグランド花月でよしもと新喜劇を観ました。本当はこちらの話も大いに書きたいところですが、今回は我慢します。

 三日間本当に楽しいひとときを過ごしました。色々な手配などでお世話になった方々(Sさん、Aっちゃん)にこの場を借りて心からお礼申し上げます。
【2006/11/24 15:42 】 | 未分類 | コメント(1) | トラックバック(0) | page top↑
Sentimental Journey Ⅰ
 今週明けから日中も寒い日が多くなって、そろそろ秋も終りのようですね。風邪などひいてらっしゃいませんか。ここにきて空気が急に乾燥してきたことが、作品の乾く速度でも感じられます。

 日曜日から三日間、京都と大阪へ行ってきました。初日は新幹線で京都駅まで行き、山陰線ホームにあるうどん屋さんで軽い昼食をとり、京都伝統工芸専門学校でこの春から陶芸を勉強しているSさんと待ち合わせして、午後1時8分発の山陰本線園部行きに乗り込みました。山陰本線は複線化工事が着々と進んでいるようですが、車窓からの景色は私が卒業した三年前とほとんど変わりなく、保津峡では川下りの船が、やや色づき始めた山の間を縫うように白波を立てている情景や、亀岡駅前の再開発の様子などを、Sさんとの会話の切れ間などに望むことができました。

 京都伝統工芸専門学校ではこの時季恒例になっている学生作品展があり、約二年半振りに園部駅に降り立ちました。園部駅前の景観もほとんど変わっていないのに、二年間一所懸命通った学校までの上り坂をSさんと二人話しながら、あの頃感じていた風の匂いや、様々な想いといったものは、自分の中で変わってしまっていることに気づかされました。

 学校の建物はいくつか増築され、絵付け室も違う部屋に移動していたりで、挨拶をして下さる学生の皆さんを見ても、知っている顔は当然無く、やはり自分はもう部外者なのだと思いつつも、懐かしい先生方や職員の皆さんとお話ししたり、ふと小走りにどこかの教室に向う瞬間に、学生だった時の意識と似た感覚がしたりして、月日の経過と感覚のずれは最後までしっくりとはきませんでした。

 学生時代に大変お世話になり、私が茶の道を歩む心を生んでくださった茶道の先生に、約二年振りでお会いすることができました。先生とは遠く離れていながら、私の心の中にいつも居らっしゃって常に叱咤激励して下さり、ずっと再会の念を抱いておりましたが、Sさんのお手配のおかげでようやく念願を果たす事になりました。

 再会は校内にある懐かしいお茶室でのお茶会で、学生の皆さんによるお点前、半東、お運びでお茶を頂きながら、低く設計された梁によく頭をぶつけたことや、足がしびれて倒れそうになったことなどを思い出しつつ、私たちも同じように右も左も分からないうちから先生方にご指導頂き、そしてこれからも勉強を続けながら、こうして後輩の頑張っている姿を拝見して、改めて感謝の気持ちと、卒業してからも何らかの形で学校とも、先生方とも、そして同級生や後輩とも繋がっていくことができれば、と願う想いが胸に込み上げてきました。


 誰かを通して 何かを通して 想いは繋がっていくのでしょう
 遠くにいるあなたに 今言えるのはそれだけ
 雨の匂いも 風の匂いも あの頃とは違ってるけど
 この胸に住むあなたは 今でも教えてくれる
 (to U/Bank Band with Salyu)
【2006/11/17 19:42 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
正客への道
 自宅の庭に柚子の木があります。特に肥料をやるわけでもなく、農薬ももちろん使わず、ほぼ自生している状態のが2本あって、昨年はそのうち1本に実がほとんどつかず不作でしたが、隔年おきに実りが違うのでしょうか、今年は豊作です。千利休は柚子の色づくのを見て、口切の茶を始める(炉を開く)としました。カレンダーや時計に追われている昨今、暮らしが自然の移り変わりと一緒にあった古(いにしえ)に思いを巡らせる柚子の黄色なのでした。

 さて最近、大寄せの茶会に出かける機会が多くなりました。

 以前にも書きましたが、大寄せの茶会では正客の譲り合いが日常茶飯事です。但し、流派によって結構違いがあるということを最近知りました。先月、他流派の茶席に入った時は、私のよく知っている流派のように「ここは殿方に!」という、男尊女卑?(むしろ圧倒的に女性が多い茶の湯の世界では逆かも)が見受けられず、アウェーに単騎のり込んでドキドキしていた私が、殿方として槍玉に挙げられることもないまま、上座に近い客がそのまま正客を務めていました。その日は三席ありましたがどこも同様で、案外私のよく知っている流派が、正客譲りでは一番難儀なのかもしれません。

 正直申しますと、私は大寄せの茶会というものがあまり好きではありません。大広間に30~40人も一度に入っては、全てのお客をおもてなしして満足して頂くことは到底無理でしょう。茶道の一番はやはり茶事で、せいぜい一度に3~4人をおもてなしするのが限界ではないでしょうか。しかし現実問題として大寄せの茶会でお点前をしたり、正客となって席主と会話をしたりすることは今後もあるでしょうから、好きではないということを言い訳にして避けていると、いつまで経っても正客ができず、それは負けん気の強い私としては少々悔しいので、頑張って大寄せの茶会には積極的に参加させて頂くようにしています。そんな訳で今後できる限り正客の地位を狙っていこうと目論んでいるのです(←昔と比べて随分変わったなぁ)。

 で、正客に座る前の注意点を自分なりに次のように考えてから茶席に入るようにしました。
①席入りの際は、まずできるだけ上座から一番遠い席に座ること。間違っても自ら上座に座らない。
②席の八割方が入るまでは正客を勧められてもすぐには承諾せず、腰を上げないこと。
③入口に座り込む事だけは、茶道を志す者として絶対に避けること。
④できればほぼ全員が席入りして、第三者に勧められてやむなく正客を引き受ける形をとること。

 ①は常識的に考えても必要な行為、②は計算で、席の半分も埋まってないうちから正客に座ると、後から席入りして来た方々の「私たちの同意がないうちに知らない人が正客に」的鋭い視線に弱気になってしまい、そのあとの正客ぶりに支障をきたしかねません。こういう時に限って正客よりも喋る連客などが発生したりします。③は言うまでもないことなのですが、大寄せの茶会では結構目につく光景です。私などよりも茶歴が長く、お免状も全てお持ちと見受けられる方でも、何故かこのような行為に至ってしまい、後ろの人が席入りできず、茶席が始まらないという事態が発生することがままあります。④のように多数決で満場一致が理想的です。こういう場合、最後に席入りしてきた人にとっては正客の場所しか空いていないことがほとんどで、その人にとってはその危機的状況から救われる訳ですから、感謝されることにもなるのです。まぁ、席が終わればそんな殊勝な気持ちも簡単に霧散してしまいますが。表面上とはいえ全員が推薦したわけですから、仮に正客が終始無言でも誰にも叱責されたりしません。

 知らない大勢の人々の前で、やはり見ず知らずの席主と受け答えなどするので、子供の頃の発表会のごとく緊張します。自信のないうちは掛軸と花入と香合ぐらいを訊ねたら、さっさと会記を所望してしまったほうが良いかもしれません。会記というのは、その席で使われている諸道具の目録のようなもので、席主に訊ねなくても書いてあり、正客は黙ってても、まぁ許されます。
 しかしできれば最初から最後まで席主と会話をして、堂々と渡り合いたいものです。たまに他の人の素晴らしい正客ぶりを目の当たりにすると、自分もいつかはああなりたいと、ふつふつと胸に闘志が湧き上がってきます。

 そこで先月の茶会では、正客をさせて頂いたらなるべく会記の所望を後にしようと心に決めて行きました。正客が席主に道具組を訊ねる際、一応順番というものがあります。私の良く知っている流派では、掛軸、花入、香合、釜、炉縁(炉の時季)、風炉先屏風、棚、水指といった順で、これらの会話をしている間に、菓子を勧められて食べるのですが、正客は会話という任務があるためゆっくり食べていられません。また道具について会話が弾めば、あっという間にお茶が点てられて出てきます。

 正客の役得は、茶席で一番良い茶碗でお茶を戴けるということで、飲み終わったら茶碗についても訊ね、このあたりで会記を所望するのが適当ではないかと思います。会記は一般的に何部か用意されていて、お運びが茶席の人数に合わせて適所に運んでくれます。場合によっては全員に配られ、持ち帰れることもあります。奉書紙に書かれているため広げて見ると結構場所を取るので、菓子器も茶碗も下げられてからのほうが広げやすいと思います。逆に菓子もお茶もまだのうちから会記を所望すると、見ているそばから菓子を勧められ、お茶が点てられて来てしまい、しっかり会記を見ることができないばかりか、席主との会話も会記が出ているだけに訊ねにくくなります。道具について訊ねても、全ては会記に書いてあるからです。薄茶器と茶杓は点前が終わった後、拝見に出されますので、その時にじっくり拝見して訊ねます。


 さて当日、ハリキッて自分なりに時候なども絡めて、席主に色々お訊ねして茶席を盛り上げようとしたのですが、香合をお訊ねしたところで席主のほうから会記を持ち出してこられました。これってあとは黙ってろってこと?
【2006/11/10 17:08 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
茶の正月
 早いもので今年もあと二ヶ月を残すのみとなりました。十一月はお茶の世界では正月に当たり、春に摘んだ新茶を使い始める口切りや、炉開きといって半年振りに炉の点前になります。陰陽道でも十月に陰が極まり、十一月から陽に転ずるといわれていますが、太陽暦よりも太陰暦のほうが日本の伝統文化を理解する上で、季節感なども理解しやすいのではないかと思います。ちなみに日本では明治に入ってから太陽暦が取り入れられたのですが、歴史の教科書などに出てくる明治以前の出来事で「○月×日」と書かれていたら当然全て太陰暦ですのでご注意を。坂本龍馬が亡くなった十一月十五日(十四日の深夜に暗殺されたので資料によって表記が異なります)も勿論旧暦ですので、今で言うと一月三日前後だったことになります。風邪をひいて真綿の入った半纏(これをどんぶくと呼ぶのは東北地方でしょうか)を幾重にも着込んでいたために、刺客が乱入した時思うように身動きできなかったといわれていますが、太陽暦で考えれば納得です。

 話をお茶に戻して、この時季は気候がよいので各地でお茶会が盛んに開かれます。私も先週の土曜から週明け火曜日までの四日間で、大寄せの茶会と他流派の茶席とお茶事と三日間をお茶関係のスケジュールで過ごしました。その間にテニスを二回しましたので、足がもうクタクタです。

 大寄せの茶会では二席でお正客をさせて頂く機会に恵まれました。まだまだ勉強不足で赤面の至りですが、緊張感の中にもほんの少し楽しめるようになってきました。

 他流派のお茶席では次客をさせて頂きました。お正客以外は初心者ということでしたので、皆さんに細かい所作のことよりもいかに楽しいひとときを過ごして頂くかということや、お正客との連携などについて色々勉強になるひとときでした。

 お茶事はいつものメンバーで、今回三回目にしてようやくお客になることができました。前二回は亭主と半東だったのですが、正客をさせて頂いたおかげで初めて席の雰囲気を知ることができました。亭主は襖を閉めたそのうしろで、席の流れを客の会話や衣擦れの音など、耳だけで判断して行動する場面が多いのですが、意外に客は要所要所で襖のうしろに居る亭主に、無言の合図を送っているのだと知りました。今は回を重ねるにつれ、茶事の本当の楽しみが分かってくるような期待感があります。次回は初釜で再び亭主に挑戦です。

 それぞれスタイルも楽しみ方も違う茶席でしたが、共通する楽しみの一つとして道具組(どうぐぐみ)があります(やっと陶芸の話に持ち込んだ!)。

 道具組というのは、掛軸、花入、香合に始まって、茶碗や茛盆に至るまでどういう茶道具を取り合わせて使うかということで、茶会の季節や趣向(テーマ)によって亭主が思考を巡らせるところとなります。

 道具組では基本的な約束事のようなものがいくつかあります。様々な茶道具の中で陶磁器が占める割合は他の工芸のものより多いのですが、例えば同じ種類のやきものを重複させないで使うということがあります。水指も茶碗も同じ織部焼などというのは、やってはいけないという決まりはありませんが、あまりやりません。特殊な趣向であればありうることとは思いますが、同じ種類のやきものでは変化が乏しく、亭主のセンスが疑われます。しかし皆具(かいぐ)となると話は別です。皆具というのは水指、杓立、建水、蓋置の四つが同じやきものの揃いで作られたもののことで、一般的には磁器のものが多く、台子(畳半畳ほどの棚)や長板(台子から発展した畳半畳ほどの板)と取り合わせて使います。また重陽の節句(九月九日)に因んだ茶会では、同じやきものを二つ取り合わせて使う流派もあるようです。

 冬の寒い時季に使う道具、夏の暑い時季に好まれる道具などもあります。筒茶碗はお寿司屋さんの湯呑くらいの大きさで、真冬の二月頃使います。お茶が冷めにくいようにという亭主の心遣いが感じられますが、「くじあたり」という銘の筒茶碗が、初夏の祇園祭に因んで使われたという話を聞いたことがあります。七月に執り行われる京都祇園祭の山鉾(やまほこ=山車)の巡行の順番を決める、くじの入った筒に見立てた銘のようです。
 鶏の香合は、酉年の初釜や年末に使いますが、暁の茶事でもよく使われます。真冬の午前四時頃から始まる茶事で、朝の早い一番鶏に因んでのことですが、春先にも使われることがあります。これはこの時季に宮廷などで闘鶏の戯が行われたことに由来します。

 花入や水指、茶入、茶碗、蓋置、菓子器などに陶磁器の道具が多く、これらをみな違う種類のやきもので取り合わせ、その上、漆芸品、竹工芸品、金属工芸品などの諸道具があり、しかも前述のような特例もありで、茶会の道具組では亭主(席主)の力量が問われますし、客もまた亭主の趣向を汲み取る能力が要求されるわけです。亭主の趣向を客が自然に受け取る。これが茶会の楽しみでもあるのです。

 残念ながら私は全く持って勉強中で、まだまだこのような境地には程遠いのですが、とにかく多くの茶会に足を運んで経験を積むことが大切だと感じています。
【2006/11/03 20:51 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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