♪時には苦かったり渋く思うこともあるだろう…
 早いもので明日から12月ですね。秋のお茶会強化月間も、火曜日の鶴岡八幡宮にて正客を二席でさせて頂き、楽しく終了することができました。

 陶芸教室では毎月下旬の受講日のない空いている時に、様々な講習会などにお使い頂いており、今日は、毎月紅茶の講習会を開いておられる山根ユミ先生のご紹介で、市場調査の会合がありました。私も一市民として参加させて頂き、最後に山根先生の紅茶の講習会がありました。

 一人分の紅茶を入れるとして、ティースプーンで茶葉を二杯、350mlのお湯でいれ、ティーカップが一杯140mlとすると二杯半分できます。最初の一杯目で香りと紅茶の色彩を、二杯目で香りと味を、三杯目はお湯を足して味を楽しむということで、特に三杯目になると茶葉の苦味や渋味が出てきますが、それもまた一杯目、二杯目を楽しんだ余韻として、感謝して頂くというお話に、とても感銘を受けました。人生にも通ずるところかもしれません。

 さて明日から二日間、東京美術倶楽部で正札市があります。毎年恒例で茶道具を中心に良い物を手に取って見ることができる絶好の機会ですので、お時間のある方は是非お出かけ下さい。

 インフルエンザや風邪などが流行の兆しをみせています。お体ご自愛のほど。
【2007/11/30 20:18 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
イデミツとミツイ=オガタとアタカ
 朝夕はめっきり肌寒くなってまいりましたが、横浜は秋晴れが続いて爽やかな毎日です。陶芸教室の前には「ふぞく坂」という名の坂があって、教室に通って来られる生徒の皆さんにとっては、急な上り坂のために評判が今イチなのですが、私はこの坂を教室に向かいながら見上げる空の色が大好きです。そして夕暮れ、坂を下りながら向かいの丘の家並に、明かりが幾つか灯っているのを見ると、とてもあたたかい気持ちになります。一つ一つのあかりの下には家族があって、生活があって、誰かが誰かを思っているのでしょう。秋は何故か感傷的に物事を見せてくれます。

 さて今週の火曜日に、三井記念美術館へ安宅コレクションを観に行ってきました。東洋陶磁のコレクションとして質、量ともに世界でもトップクラスとされる安宅コレクションの名品展です。安宅産業の元会長であった安宅英一氏が精選、収集した約1000点の作品のなかから、中国・韓国の陶磁器の名品126点を選りすぐり、国宝2点(油滴天目、飛青磁花生)、重文11点を含んだ展示です。 また、25年の歳月と情熱をかけてこれらの作品を選んだ安宅英一氏の眼にスポットをあて、コレクション形成の知られざるエピソードを交えて展開させることで、美の求道者の横顔に迫っています。

 展示物の多くに、安宅氏がそれを入手するまでのエピソードなどが詳細に書かれていて、作品そのものよりも、むしろ安宅英一氏のヒトトナリに注目した展示だったような印象を持ちました。日本でも有数の総合商社だった安宅産業は、東洋陶磁の収集にも巨額の社費を投じていましたが、1973年のオイルショックを機に業績が悪化、結局その4年後に吸収合併により解散してしまったそうです。唯一の救いはこれら名品が散逸することなく、大阪市東洋陶磁美術館という、一般公開の道を取られた点に集約されると思います。

 続いて出光美術館の「乾山の芸術と光琳」を観に行きました。乾山とは尾形乾山(1663-1743)、光琳はその次兄の尾形光琳(1658-1716)のことで、弟の乾山は陶芸で、兄の光琳は絵画や漆芸、着物の衣装までを手がけた元禄時代の芸術家です。今回は特に乾山の陶器類が数多く出展されていて、なかなかに見ごたえのある展示になっています。二人の生家は京都でも屈指の呉服商で、家業は継ぎませんでしたが、それぞれ複数の家屋敷と金銀諸道具などを相続しました。しかしこれらには全く執着することなく二人ともそれぞれの芸術性にのみ生涯を捧げました。

 奇しくも時代を超えて、「美」に魅せられた人たちに、どこか相通ずるものを見たような気がします。
【2007/11/23 19:40 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
建長寺宝物風入れ
建長寺山門。秋晴れに恵まれました

 秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり…。
 歳を重ねるにつれて、季節の移ろいを身に染みて感じるようになりました。横浜に住んでいると、遠くに山の稜線を見るということは少ないのですが、そのかわりちょっとした丘陵がそこここにあって、宵闇せまる町翳と澄んだ空とのコントラストに、似たような印象を持つように思います。

 先週の日曜日(愛知県支部茶会の二日前)、スタッフ3人で鎌倉の建長寺の宝物風入れを観に行ってきました。秋晴れに恵まれ、午前10時に3人が揃うというのも珍しいのですが、由緒ある品々を拝見し、お抹茶を一服頂いて、とても楽しい時間を過ごしました。

 鎌倉時代の歴史については、まったくもって門外漢ですので、自分の知っている範囲で、聞いたことがあるような人物にまつわる品物だけを注意深く眺めておりましたが、その中に沢庵宗彭(たくあんそうほう)の墨跡がありました。
 今年は茶道三千家の礎を築いた千宗旦(せんそうたん:千利休の孫)三百五十回忌にあたり、各地で様々な展覧会も開かれていますが、ちょうどこの沢庵和尚が、宗旦の参禅の師です。

 沢庵和尚といえば、漬物のたくあんで有名ですが、宮本武蔵を主人公にした井上雄彦氏による漫画「バガボンド」にも登場します。原作は吉川英治の『宮本武蔵』で、1998年から週刊モーニングで連載中。本阿弥光悦との交流も描かれていますが、史実かどうかは不明です。

 そんなことから、はたしてこの時代、どのような人物が活躍して、どのような交流を持っていたのかを調べてみました。以下、年齢順に箇条書きです。

春屋宗園(1529-1611)臨済宗の僧。大徳寺111世。沢庵宗彭の師。津田宗及・今井宗久・千利休ら、いわゆる「茶の三大宗匠」と親交。古田織部、小堀遠州の参禅の師。利休が大徳寺三門の修復を寄進した際、落慶法要の導師をつとめた。

本阿弥 光悦(1558-1637)「寛永の三筆」の一人。書家として、また陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わった。陶芸は樂道入に師事。

俵屋宗達(?-1643)琳派の祖と言われる画家。当代一流の文化人であった烏丸光広(からすまるみつひろ)や本阿弥光悦らの書巻にも下絵を描いている。

柳生宗矩(1571-1646)柳生新陰流宗家の父とともに家康に仕え、二代秀忠、三代家光の剣術師範役。沢庵とも既知。

沢庵宗彭(1573-1646)春屋宗園に参禅、37歳の若さで大徳寺第153世となる。千宗旦、小堀遠州らの茶人をはじめとして、柳生新陰流の柳生宗矩や三代将軍・徳川家光にも大きな影響を与えた。著書に、剣禅一如(けんぜんいちにょ)の思想を示した「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」がある。また和漢の教養にあふれ、深い精神性をたたえた沢庵の墨蹟は、多くの茶人に尊重され続けている。

江月宗玩(1574~1643)茶人津田宗及の子。春屋宗園に参禅。大徳寺第156世。幼少にして堺南宗寺の笑嶺宗訴に謁し、ついで大徳寺の春屋宗園に参禅、その法を嗣ぎ、慶長十五年大徳寺に出世。詩文・書・茶の湯に秀でた。寛永四年大徳・妙心寺法度事件には沢庵・玉室と共に大徳寺硬派(北派)の先頭に立って幕府に抗議したが、ひとり許された。

千宗旦(1578-1658)利休の孫。春屋宗園のもとで禅の修行を積み得度した。祖父の利休が豊臣秀吉により自刃に追い込まれたことから政治との関わりを避け、生涯仕官しなかったが、子供たちの就職には熱心で、長男宗拙を加賀藩前田家に、次男一翁宗守を高松松平家に、三男江岑宗左を紀州徳川家に、四男仙叟宗室を加賀藩前田家に仕えさせた。久田家との姻戚関係が出来たのも宗旦の時代である。勘当された宗拙を除く三人の息子がそれぞれ武者小路千家(次男:一翁宗守)・表千家(三男:江岑宗左)・裏千家(四男:仙叟宗室)を興こし、三千家と呼ばれ現在に至る。

小堀遠州(1579-1647)近江小室藩藩主。茶人、建築家、作庭家としても有名。春屋宗園に参禅。古田織部に茶道を学ぶ。また門下に松花堂昭乗、沢庵宗彭がいる。

烏丸光広(1579-1638)徳川家光の歌道指南役。沢庵宗彭に参禅。俵屋宗達筆による「細道屏風」に画賛を記している。

松花堂昭乗(1582-1639)真言宗の僧侶。光悦とともに「寛永の三筆」の一人。絵画、茶道にも堪能で江、月宗玩のために小堀遠州、狩野探幽とともに絵筆をふるう(床脇小襖絵)。また小堀遠州は昭乗のために瀧本坊に茶室「閑雲軒」をつくる。松花堂弁当は昭乗の発案とされる。

石川丈山(1583-1672)煎茶の祖といわれる。もとは武士。漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。狩野探幽に肖像を描かせた。

金森宗和(1584-1657)戦国武将金森可重(飛騨高山藩藩主)の長男。大阪の陣で徳川方につく父可重らを批判したことで廃嫡され、母と供に京都に隠棲する。大徳寺で禅を学び、剃髪して「宗和」と号する。やがて茶人として活躍をはじめ「姫宗和」と呼ばれ京の公家たちに愛され、江戸の徳川家光に招かれたこともある。陶工野々村仁清を見出したことでも知られる。

樂道入(1599~1656)樂三代目。あだ名のノンコウは宗旦が贈った花入がきっかけ。

狩野探幽(1602-1674)江戸時代を代表する絵師。狩野永徳の孫にあたり、11歳で駿府の徳川家康に謁見。15歳にして将軍の御用絵師となる。

片桐 石州(1605-1673)大和小泉藩の第2代藩主。茶道石州流の祖として有名である。母方の祖父は今井宗久。

山田宗徧(1627-1708)宗旦四天王の一人。茶道を小堀遠州に入門後、18歳で千宗旦に弟子入り。1652年、宗旦の皆伝を受ける。江戸へ下向後、元禄赤穂事件(忠臣蔵事件:元禄15年(1703年)12月14日)の際に大高源五に吉良邸茶会の日を教えたとされる。

吉良上野介(1641-1702)千宗旦の弟子だったとされる。元禄赤穂事件で討たれる。

 沢庵和尚と千宗旦の周辺には、現代でも著名な文化人がこれほど多く活躍していたのかと驚きました。調べるほどにそれぞれがお互いに影響を与えあって、寛永文化の一翼を担っていたのだと、非常に興味を覚えた次第です。

 急に冷え込んできました。ご自愛のほど。
【2007/11/16 18:25 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
お茶会三昧
 11月は日本全国お茶会強化月間なのかと思うくらい、各地でお茶会が催されています。先週の土曜日は川崎大師のお茶会へ行って、四席まわって(つまり四杯のお抹茶と四個の和菓子を食べました。まだイケます。甘い物好きで良かった♪)、そのうち二席でお正客をさせて頂きました。近頃はだんだん図々しくなって、上手に正客できなくてもヘコタレなくなってしまったような気がします。良い意味で強く逞しくなっているのならよいのですが…。

 もう一つ、今週の火曜日、表千家同門会愛知県支部創立四十周年記念茶会の初日(三日間開催)に行ってきました。実家のツテでたまたま直前にキャンセルになったお茶券が入手でき、仕事も休みだったこともあって、いつものテニスはお休みして(優先順位=茶道>テニス)月曜夜に前のり、翌日早朝に車で実家を出発、犬山市の明治村に向かいました。
 明治村についてはHPがありますので、興味のある方はどうぞ。
 www.meijimura.com/

 聖ザビエル天主堂で午前10時より行われた而妙斎御家元奉仕献茶式を拝見させて頂き、その他三席すべてをまわることができました。女優の小林綾子さんが招待客として?いらっしゃっていて、とてもお美しくて驚きました(私にはあの「おしん」以来、浅黒くて丸顔の田舎娘というイメージしかなかったもので)。
 さらに感激したのは坐漁荘の濃茶席です。寄り付きとして、まず二階で茶道具の展示を拝見しました。茶道具商と思しき着物姿の男性がお二人、道具について説明して下さっており(というより道具の警護役)、由緒正しい道具の数々がずらりと並んだ一角に、ひときわ注目を集めている茶碗がありました。

 それは長次郎(樂初代)の黒茶碗でした。ガラスケース越しではなく、手を伸ばせば触れる場所に鎮座していました。たまたま別の茶道具商らしい、警護役の方の二周りは年長かと思われる人物が来て、気軽に手にとって見て、去っていったところだったので、これはチャンスとばかり、その警護役の方に「手にとって見ても良いですか」と恐る恐るお訊ねしたところ、たった今男性が手にとって見ていったばかりのため、断りにくかったのでしょう(むしろ私はその間合いを見計らって声をかけたのですが)、「ど、どうぞ」とためらい気味に、でもお許し下さいました。

 カセた肌と、しっかりとした手取り。三年程前に東京美術倶楽部で初めて手にした長次郎の赤茶碗と同様の手ごたえでした。もうこれだけでも新幹線でやって来た甲斐があったというものですが、更にもう一つ感動が待ち受けていました。

 長次郎の茶碗に触れることが出来て、天にも昇る気持ちで階段を下りて、一階の茶席に案内されました。30人ほど入れる茶席の入口で、案の定正客に祀り上げられそうになり、半東役の男性に脇をとられて、あたかも捕らえられた宇宙人状態で上座に連行されそうになったのですが、もう一人男性客がおられたので何とかその腕を振りほどいて逃亡、幸運にも次客の席にすべり込みました。

 茶席では正客が一番良い茶碗でお茶を頂くことができるのですが、そのかわり席主と色んなお話をして、場を盛り上げなくてはいけないのでとても大変です。なかには最初から最後までダンマリで済ます猛者も居ますが、やはり茶道を志す者としては、一通りの会話はしたいものです。私の場合は川崎大師の茶会で正客に座っても、愛知県支部の四十周年記念茶会という大舞台では、とてもとても恐れ多くてムリです(決してお大師様を軽んずるわけではありません。だってこの席主は愛知県支部の副支部長さんなんだもの…愛知県副支部長さん>お大師様=川崎大師のお茶会は私の師匠の社中の方々ばかり=知り合いが多くて少し気楽)。そんなわけで散歩中にむずかる大型犬のごとく、座敷中央で及び腰になりながら半東役にしょっ引かれそうになっていた私でしたが間一髪で助かり、しかも濃茶席なので正客と同じ、一番良い茶碗で頂けることになったのでした。

 前にもこの教室通信で説明したと思うのですが、濃茶は一般的な薄茶の3倍くらい濃い、ドロッとしたお抹茶です。しかも何人かで一つの茶碗で回し飲みするので、慣れていない方はきっとその間接キスに違和感を覚えることでしょう(慣れてしまった私には、正客の男性と間接キスだぁーっ、なんて感覚は全くありません。…なかったのですが…、今こうして文字にしているうちに若干気分が↓)

 お点前さんの膝前にあるうちから、その茶碗の黒ではない、茶色に近い色彩に釘付けになっていたのですが、凄い茶碗か、まったくもってどーでもいい茶碗かのどちらかだ、などと見当をつけたりしておりました(お軸も花入も元伯宗旦(げんぱくそうたん:利休の孫)だから、どーでもいい茶碗であるはずがないのに、二階で長次郎に触れた直後ですっかり酩酊していたものですから)。

 正客に手渡されて濃茶を頂き、再び拝見でその茶碗が回ってきたのを手にとってまじまじと見ても、自分の思いつく作者が浮かびませんでした。肌合いや形からして、ノンコウ(樂三代目・道入(どうにゅう)の愛称)でも一入(いちにゅう:樂四代目)でも宗入(そうにゅう:樂五代目)でもない、それ以降ならあまり興味がないし、他の道具との釣り合いからしてそれは考えにくい…などと思っているうちに、席主から「常慶です」と言われ、正客を始めその茶碗で濃茶を飲んだ者たちは絶句。まるでゲテモノ料理を食べた後に、初めてその食材を知らされたかのような(ちょっと違うか)、体が少し宙に浮くようなリアクションでした。

 常慶(じょうけい:樂二代目に相当するが諸説あり)にこれまで触れたこともなければ、ましてやそれに口をつけるようなことが人生において起こりうるとは夢にも思っておりませんでしたので感無量でした。恐るべし愛知県支部。

 記念品に八事窯の赤樂茶碗まで頂いて帰りの新幹線は飛び乗りました(夜、根岸のテニススクールがあったので)。夕方の時間帯だったためか指定席が取れず、デッキにしゃがんでお弁当を広げて夕飯にしましたが、わすが数時間前との落差が我ながら可笑しく感じられた一日でした。
聖ザビエル天主堂~愛知県犬山市の明治村にて

【2007/11/09 16:04 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
秋の陶器市
 秋の空は移ろいやすく、予報通りにいかないこともしばしばあります。今にも降りだしそうな空模様で、風も出てきました。

 11月は本格的な冬が来る前の、ほんのわずかな過ごしやすい時季です。前回も書きましたが、茶家では炉を開いて、新しい茶壷の口を開けて、さながらお正月のように華やぎます。

 またこの時季は各地のやきものの里で、陶器市が催されて、盛大に賑わいます。11月に開催される全国の陶器市の主なものを挙げてみますと…

鍋島藩窯秋祭り(佐賀県伊万里市大川内町大川内山)
吉田焼辰まつり窯元市(佐賀県嬉野町)
う~たん通り秋の窯祭り(有田焼:佐賀県西松浦郡うーたん通りなど)
笠間焼の匠まつり(茨城県笠間市)
益子焼の秋の陶器市(栃木県芳賀郡益子町)
九谷陶芸村まつり(石川県能美郡寺井町 九谷陶芸村)
美山窯元祭り(薩摩焼:鹿児島県日置郡東市来町美山地区)大谷焼窯まつり(徳島県鳴門市大麻町大谷)
大堀相馬焼登り窯祭り(福島県双葉郡浪江町)
出石焼お城祭り(兵庫県出石郡出石町)
泉涌寺窯もみじ祭り(京焼:京都府京都市東山区)
龍門司焼陶器まつり(鹿児島県加治木町小山田)
読谷山焼陶器市(沖縄県読谷村座喜味 読谷やちむんの里)

 陶器市ですと、通常よりも何割か安くなっていたりしますし、会場によってはイベントもあって、とても楽しいものです。私も京都で陶芸を勉強している2年間で、いろいろな陶器市に足を運びましたが、なんといっても、そのやきものが誕生した風土を肌で感じることができるのが、なによりの喜びになります。普段日常生活で使っている陶器や、茶室で拝見するやきものが、どのような土地で作り出されているのかを知ることで、より一層そのやきものへの関心が高まり、そこで購入したものへの愛着も湧いてきます。

 機会があれば是非一度お出かけ下さい。その際はリュックで行くことをおススメします。常に両手でやきものに触れることができますし、折りたたみ傘も忍ばせて行けますから便利です。
【2007/11/02 14:46 】 | 未分類 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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