これは禅語で、「百尺竿頭進一歩 十方刹土現全身」(ひゃくしゃくかんとうに いっぽをすすむ、じゅっぽうさつどにぜんしんをげんずべし)と続きます。相国寺の有馬頼底老師の言葉をお借りしますと、百尺の竹ざおのいちばんてっぺん、もうこれ以上先へは行けないというところを、さらに二歩も三歩も歩みを進めるということです。ここで終わりというところを、さらに乗り越えていく。どこまでもどこまでも向上心を持って追求し、さらにきわめていく。もうこのへんでいいだろう、では駄目です。

 そして次には十方刹土現全身。そうして会得したものを持って、今度は逆に下界へ降りていって、世界中を行脚し、衆生を済度(救済)しなければなりません。
 「利休百首」に、「稽古とは 一より習ひ十を知り 十よりかへる もとのその一」という歌がありますが、これもまたこの「百尺竿頭進一歩 十方刹土現全身」と同じような意味合いではないでしょうか。十を知ったからといって、それで終わりではありません。十を知ったら初心にかえり、またもとの一に戻らなければならない。つまり十を知ったことによって、初めて一の本当の意味が分かるのです。これは修行する者にとっては、常に忘れてはならないことです。

 てっぺんだ、下界だと言っても、実はそんなものはどこにもない。人生山あり谷ありと言っても、ただの思い込み、実はそんな山や谷はどこにも存在しないのです。

 頑張らなくていいのです。目の前の真実にしっかりと向き合うだけで、それで十分なのです。
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