風炉正午の茶事と道具組
 今日で5月も終わり。暑い日が続いたと思うと急に涼しくなったりしていますが、今年の夏は猛暑になるという気象庁の予報も当たりそうな予感がします。私自身は寒さより暑さのほうが耐えられるので、晴れの日が続いてくれて、適所に適度に降水量があったらベストです。

 明日から6月。新しく初級・中級コースがスタートです。約10ヶ月続いた前回の初級・中級コースの皆さんはこれから自由制作です。10ヶ月毎に新しい生徒さんとの出会いがあることは、とても有難いかけがえのない経験だと思っております。そしてまた、今まで長い間通って下さった生徒さんの中には、人生の新しい出発のため、教室を卒業される方もいらっしゃいます。寂しい気持ちもありますが、素敵な告白を聞かせて頂いて、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。これからの素晴らしい人生をお祈りしています。またいつでも遊びにいらして下さいネ。私たちはいつでもここに居ます。



 さて先週の火曜日は茶友たちと茶事を催しました。年4回の恒例行事で通算5回目、今回私は末客をさせて頂いたので、これまでよりも随分楽しめたように思います。

 教室には大した茶道具がないのでいつも同じ道具ばかり。それでも一応陶芸教室ですから、少しずつでも茶碗やら水指やらは増えてはいますので、毎回道具組を考えたりはします。大抵は亭主役と一緒に考えるのですが、陶芸教室にある物だけでなく、時には茶友たちが道具を持ち込んで下さったりして、中々楽しいものです。

 そんな時に思うのは道具の取り合わせの重要性です。これを道具組(どうぐぐみ)と言って、茶事の時季や主題(テーマ)などは道具組で表現するわけですが、基本的な約束事があり且つ感性が問われます。

 道具組の約束事には初歩的なものから、奥の深い趣向を凝らした取り合わせのものまで数多くあって、師匠の指導や書物によっても学習することが出来ます。もちろん流派によって大きく違いがあり、例えば表千家流では五月の初風炉では運び点前、つまり最初に水指を運び出す点前から毎年始めますが、これに使う薄茶器は真塗無地の中棗(真っ黒で蒔絵がない、中型の棗)と決まっています。水指は他の点前では棚などに置き付けますので、客は席入りした時から水指が目に入るわけですが、運び点前では客の席入り後、亭主が水指を持ち出し、客の目の前で最後に水指を下げます(水屋に持ち帰る)から、華やかな蒔絵がしていない地味な真塗無地の薄茶器を取り合わせて、水指が引き立つように工夫しているわけです。また運び点前で蓋置は竹引切(竹を寸法良く切ったもの)を用いることになっていますが、これらは基本的な道具組の約束事です。

 花入と花の取り合わせなどは、私のような初心者にはなかなか難しく、例えば初風炉の時季の花の王座とも呼ばれ、位のある大山蓮華(おおやまれんげ:茶の湯では大山蓮と略して呼ぶこともあります)は、古銅の花入に一種活け(他の花を入れずに一枝だけ活ける)すると、非常に風格があって凛とした趣が出ますが、土物や掛けの花入などには、蔓桔梗や升麻(しょうま)、或いは縞芦などと合わせると侘びた風情になります。この違いは花入の真・行・草(しん・ぎょう・そう:位、格の区別。真の花入は古銅、青磁など。行の花入は釉薬の掛かった日本の焼物。草の花入は備前、伊賀、信楽などの無釉のもの、或いは樂焼、大樋焼など)によるところも大きいのですが、大寄せの茶会などでは品格が出ますので一種活けが一般的で、そのせいか大山蓮華は一種活けにするのが約束事と考えている方が少なくないようです。このように通説として囁かれている約束事も数多く存在します。いずれにしましても感性(センス)が良くないといけません。(参考文献:茶道雑誌・河原書店発行~平成十六年七月号 泉涌寺献茶式 拝服席(小方丈) 主 不審庵 会記、同平成十七年八月号 妙喜庵保存会 担当 堀内宗心宗匠 会記、山藤宗山著 茶花の入れ方 淡交社刊より)

 基本的な約束事を踏まえながら、自分なりの取り合わせを考えることがお茶の楽しみの一つですから、基本を押さえずに個性だからと勝手をしていたのでは、まるで広いグラウンドにコートもネットも無しでテニスの試合をするようなことになってしまいます。沢山のルールがあり、約束事でがんじがらめだからこそ、自由に自分の表現が出来るわけです。

 道具組の重要な点は全体を通しての季節感であったり、位や格の均衡(バランス)、主題(テーマ)との関連性などです。茶道具一つ一つについては通常そのもの単体だけを「個」として鑑賞することが多く、美術館や博物館に陳列してある茶道具は、香合、花入、水指、茶碗など、大抵は茶碗なら茶碗だけをずらりとまとめて長いガラスケースに並べ立てて鑑賞します。茶事の道具組として取り合わせる全体の中の「個」として意識することは少ないと思います(名古屋の徳川美術館など例外もあります)。

 例えば(例えが多すぎ?)、国宝の井戸茶碗「喜左衛門」は、美術館などでガラスケースに入れられた「個」として鑑賞することはありますが、これを茶会で使うとして、道具組の中の全体から見た「個」とした場合、他の道具は何を用いたら良いでしょうか?

 こう考えていくと、「喜左衛門」の魅力というものはガラスケースに一つ収まった状態だけでは推し量れないのではないかと思うのです。それに匹敵する、もしくはそれを引き立てる諸道具と取り合わせてこそ、茶道具としての「喜左衛門」の魅力が存分に発揮されるのではないでしょうか。

 同様に自分で陶器の作品を作る時、所有する食器や合わせて使う道具の全体的な趣向を考えることで、また別の着想を得ることが出来るかもしれません。

 そして人もまた…。茶友たちと居ることで、或いはテニスの仲間と…、教室で…。色んな方々に囲まれ支えられて、私は素晴らしい毎日を送っています。茶道具なら決して主な道具ではないけれど、誰かの引き立て役になれたらいいなと思っています。
不動坂近くに自生する露草

↑不動坂近くでこの時季群生する白い露草です。自生するだけの繁殖能力があるのに、花入に入れようとすると水上げが難しく、すぐしおれてしまいます。
【2007/05/31 20:19 】 | 未分類 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
引き立て役
引き立て役というのは、本人自身がしっかりしていないと難しいものですね。
もしかすると主役よりも人格を問われる、縁の下の力持ちとなるのではないのでしょうか。
私もいつかはそういった力を付けられるように、日々精進していきたいです。
【2007/06/02 06:53】| URL | AKI #-[ 編集] |
AKIさん、コメントありがとうございます。
「もしかすると引き立て役は主役よりも人格を問われる」とのご意見、同感です。もちろん私には人格も人徳も不足していますから、縁の下の力持ちというよりはエキストラ志望ってところでしょうか。目立たないように、誰だか分からないように存在できたらといつも思っています。隠棲したり、隠れるように生きるということではなく、たとえば前の世代から受け取ったものを次の世代に受け渡すような人生を望みます。そこには私の作品や思想を、歴史の合間にしっかりと生きた証として刻みたいという気持ちはありません。私の人生は誰かと誰か、或いは誰かと何かを繋ぐことに費やしていきたいのです。繋がった瞬間もう私のことは忘れて、その人が新しく繋がった道を進んでも退いてもそれで本望なのです。
【2007/06/02 18:52】| URL | taguchi #-[ 編集] |
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