ソウムメイト2017”啐啄同時”

2007/11/16 [Fri]

建長寺宝物風入れ

建長寺山門。秋晴れに恵まれました

 秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり…。
 歳を重ねるにつれて、季節の移ろいを身に染みて感じるようになりました。横浜に住んでいると、遠くに山の稜線を見るということは少ないのですが、そのかわりちょっとした丘陵がそこここにあって、宵闇せまる町翳と澄んだ空とのコントラストに、似たような印象を持つように思います。

 先週の日曜日(愛知県支部茶会の二日前)、スタッフ3人で鎌倉の建長寺の宝物風入れを観に行ってきました。秋晴れに恵まれ、午前10時に3人が揃うというのも珍しいのですが、由緒ある品々を拝見し、お抹茶を一服頂いて、とても楽しい時間を過ごしました。

 鎌倉時代の歴史については、まったくもって門外漢ですので、自分の知っている範囲で、聞いたことがあるような人物にまつわる品物だけを注意深く眺めておりましたが、その中に沢庵宗彭(たくあんそうほう)の墨跡がありました。
 今年は茶道三千家の礎を築いた千宗旦(せんそうたん:千利休の孫)三百五十回忌にあたり、各地で様々な展覧会も開かれていますが、ちょうどこの沢庵和尚が、宗旦の参禅の師です。

 沢庵和尚といえば、漬物のたくあんで有名ですが、宮本武蔵を主人公にした井上雄彦氏による漫画「バガボンド」にも登場します。原作は吉川英治の『宮本武蔵』で、1998年から週刊モーニングで連載中。本阿弥光悦との交流も描かれていますが、史実かどうかは不明です。

 そんなことから、はたしてこの時代、どのような人物が活躍して、どのような交流を持っていたのかを調べてみました。以下、年齢順に箇条書きです。

春屋宗園(1529-1611)臨済宗の僧。大徳寺111世。沢庵宗彭の師。津田宗及・今井宗久・千利休ら、いわゆる「茶の三大宗匠」と親交。古田織部、小堀遠州の参禅の師。利休が大徳寺三門の修復を寄進した際、落慶法要の導師をつとめた。

本阿弥 光悦(1558-1637)「寛永の三筆」の一人。書家として、また陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わった。陶芸は樂道入に師事。

俵屋宗達(?-1643)琳派の祖と言われる画家。当代一流の文化人であった烏丸光広(からすまるみつひろ)や本阿弥光悦らの書巻にも下絵を描いている。

柳生宗矩(1571-1646)柳生新陰流宗家の父とともに家康に仕え、二代秀忠、三代家光の剣術師範役。沢庵とも既知。

沢庵宗彭(1573-1646)春屋宗園に参禅、37歳の若さで大徳寺第153世となる。千宗旦、小堀遠州らの茶人をはじめとして、柳生新陰流の柳生宗矩や三代将軍・徳川家光にも大きな影響を与えた。著書に、剣禅一如(けんぜんいちにょ)の思想を示した「不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)」がある。また和漢の教養にあふれ、深い精神性をたたえた沢庵の墨蹟は、多くの茶人に尊重され続けている。

江月宗玩(1574~1643)茶人津田宗及の子。春屋宗園に参禅。大徳寺第156世。幼少にして堺南宗寺の笑嶺宗訴に謁し、ついで大徳寺の春屋宗園に参禅、その法を嗣ぎ、慶長十五年大徳寺に出世。詩文・書・茶の湯に秀でた。寛永四年大徳・妙心寺法度事件には沢庵・玉室と共に大徳寺硬派(北派)の先頭に立って幕府に抗議したが、ひとり許された。

千宗旦(1578-1658)利休の孫。春屋宗園のもとで禅の修行を積み得度した。祖父の利休が豊臣秀吉により自刃に追い込まれたことから政治との関わりを避け、生涯仕官しなかったが、子供たちの就職には熱心で、長男宗拙を加賀藩前田家に、次男一翁宗守を高松松平家に、三男江岑宗左を紀州徳川家に、四男仙叟宗室を加賀藩前田家に仕えさせた。久田家との姻戚関係が出来たのも宗旦の時代である。勘当された宗拙を除く三人の息子がそれぞれ武者小路千家(次男:一翁宗守)・表千家(三男:江岑宗左)・裏千家(四男:仙叟宗室)を興こし、三千家と呼ばれ現在に至る。

小堀遠州(1579-1647)近江小室藩藩主。茶人、建築家、作庭家としても有名。春屋宗園に参禅。古田織部に茶道を学ぶ。また門下に松花堂昭乗、沢庵宗彭がいる。

烏丸光広(1579-1638)徳川家光の歌道指南役。沢庵宗彭に参禅。俵屋宗達筆による「細道屏風」に画賛を記している。

松花堂昭乗(1582-1639)真言宗の僧侶。光悦とともに「寛永の三筆」の一人。絵画、茶道にも堪能で江、月宗玩のために小堀遠州、狩野探幽とともに絵筆をふるう(床脇小襖絵)。また小堀遠州は昭乗のために瀧本坊に茶室「閑雲軒」をつくる。松花堂弁当は昭乗の発案とされる。

石川丈山(1583-1672)煎茶の祖といわれる。もとは武士。漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。狩野探幽に肖像を描かせた。

金森宗和(1584-1657)戦国武将金森可重(飛騨高山藩藩主)の長男。大阪の陣で徳川方につく父可重らを批判したことで廃嫡され、母と供に京都に隠棲する。大徳寺で禅を学び、剃髪して「宗和」と号する。やがて茶人として活躍をはじめ「姫宗和」と呼ばれ京の公家たちに愛され、江戸の徳川家光に招かれたこともある。陶工野々村仁清を見出したことでも知られる。

樂道入(1599~1656)樂三代目。あだ名のノンコウは宗旦が贈った花入がきっかけ。

狩野探幽(1602-1674)江戸時代を代表する絵師。狩野永徳の孫にあたり、11歳で駿府の徳川家康に謁見。15歳にして将軍の御用絵師となる。

片桐 石州(1605-1673)大和小泉藩の第2代藩主。茶道石州流の祖として有名である。母方の祖父は今井宗久。

山田宗徧(1627-1708)宗旦四天王の一人。茶道を小堀遠州に入門後、18歳で千宗旦に弟子入り。1652年、宗旦の皆伝を受ける。江戸へ下向後、元禄赤穂事件(忠臣蔵事件:元禄15年(1703年)12月14日)の際に大高源五に吉良邸茶会の日を教えたとされる。

吉良上野介(1641-1702)千宗旦の弟子だったとされる。元禄赤穂事件で討たれる。

 沢庵和尚と千宗旦の周辺には、現代でも著名な文化人がこれほど多く活躍していたのかと驚きました。調べるほどにそれぞれがお互いに影響を与えあって、寛永文化の一翼を担っていたのだと、非常に興味を覚えた次第です。

 急に冷え込んできました。ご自愛のほど。

この記事へのコメント

コメントを投稿する


管理者にだけ表示を許可する

この記事のトラックバックURL

http://yamatetougei.blog46.fc2.com/tb.php/91-a97aa39b

この記事へのトラックバック

 | HOME | 

プロフィール

山手陶芸教室 ソウム課だより

Author:山手陶芸教室 ソウム課だより
『貴方の意志が本当に強い時、驚くべきほど多くのことを学ぶことが出来る。』
by チャック・ベリー先輩

最近の記事

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索